【60代からの終活】写真・アルバムの断捨離の重要性とは?


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こんにちは。ヒロポンです。

「終活」は60代から始める人が4割だそうです。そんな「終活」の中でもっとも重要なものの中に写真・アルバムの「断捨離」があります。

「写真・アルバムを処分する!」なんて、とても出来ないことだと考える人は多いのではないでしょうか?

しかし自分も60代になり、いよいよ「終活」について、考えるようになってみると、「残せないもの」「残したくないもの」の中にアルバムの存在が大きい事に気が付きました。セピア色の写真も情緒があって良いものですが、いざ!「断捨離」となったら、「残せないもの」に入ってしまうのはなぜでしょうか?

写真整理をする事は、これまでの人生を振り返り、残りの人生をどう過ごすのかを考え、残された家族・友人へ、改めて想いを馳せることができるいい機会になることでしょう。

今回は、そんな大切な《写真・アルバムの断捨離の重要性》について記事にしたいと思います。

 

 

【目次】

 

 

写真・アルバムの全体量を把握する

アルバムといえば、「お雛様」同様≪重くて、大きくて、丈夫なもの≫が多いです。昔のモノは特に・・です。

夫は口ぐせで「いざという時には、アルバムだけは持って逃げるぞ!」って言っていたのですが私に言わせれば「どの、どれだけのアルバム?」って感じ、、、二冊も持ったら身動きできないかも〜そんな、《荷物》を残された家族はとっても困ってしまうでしょう。せめて、残された家族にとって、いい思い出となれる様な「量」くらいまでにコンパクトにしてみませんか?

 

どこのご家庭もあるある!だと思うのですが、いつでも見られるようにと、ポケットアルバムを含め、あちこちに写真を置いてありませんか?それらを一か所に集めたら場所もとるし時間もかかるのでメモをとっておおまかに全体量を把握しましょう。

それから、毎日少しづつ(2~3冊ぐらい)整理作業していくのが良いと思います。なぜなら、写真整理って、すごく疲れるからです。解体してゴミ分別するのも大仕事です!

 

まず、アルバムの中でも比較的軽いものから整理して「空き」をつくっていきます。最終的に、「重くて大きなアルバムの写真」をその軽くて小さなアルバムの中に収める為です。

写真は「残すもの」「迷ったもの」「手放すもの」の三つに分けていきましょう。特に「迷ったもの」は後悔しないように残しておくのがよいと思います。(私の場合、昔のフィルムはすべて処分することにしました。)

 

写真は一度手放したら二度と戻りません。後から悔いが残らないように慎重に処分しなければいけません。そのためには一度にすべてを処分するのではなく、一段階・二段階・三段階と徐々に進めてゆくのがおすすめです。
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写真整理は今までの自分と向き合う作業

近頃では多くの人が、携帯やパソコン・USBメモリーなどに写真を収めてるでしょう。そのため、アルバムの出番はめっきり少なくなってきていると思います。気に入ったものだけはプリントして写真立て等に入れることができますが。

 

写真・アルバムの「断捨離」作業は改めて、これまでの人生をふり返る絶好の機会になります。なぜなら、たくさんの写真をじっくりと見るなんて中々ないですからね。

子供の頃のふるさとの景色や父母との思い出の一枚、夫との恋愛時代のしあわせな一枚、子育ての頃の楽しかった一枚その他たくさんの「いろいろな想い」が蘇って、「今までの人生ってわるくないな~」って思えます。これはきっと、たくさんの方々がそう感じるのではないでしょうか?

 

写真整理はこれからの生き方を考える良い機会になる

 

写真の中に要らないものなど無いと思います。どれも思い入れがあって、手放すには「決断」と、二度ともどらないという「覚悟」が必要です。でも、それらすべてを家族に残すのはかなりの負担をかけることでしょう。せめて、判断がつく今のうちに残されても困るものくらいは処分したほうがよいでしょう。

たとえば、知らない親戚・同じようなアングルの写真・若い頃のピンボケ写真などどうでも良いものは思い切ってポイッ!!としてしまいましょう。そうして、本当に大切だと思える写真だけがピックアップされたら、見た目どうよう心もスッキリとして残されたこれからの人生が軽やかなものとなるでしょう。

(写真の「断捨離」で間違えてはいけないことがあります。それは、順番です。まず、自分の物から処分して、次に家族の物へ!です。できれば「パートナー」の許可を得てからのほうがいいでしょう。・・・でないと後でもめることになるかもしれませんよ。)


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まとめ

今回の記事をまとめます。

  1. 写真・アルバムの全体量を把握する
  2. 写真整理は今までの自分と向き合う作業
  3. 写真整理はこれからの生き方を考える良い機会になる

今は、一段回目が済んだところで、まだまだ整理していかなければいけないのですがじっくりと時間をかけて進めて行こうと思っています。なぜなら写真は「その時」を生きた証拠品です。その思い出の証拠品たちと向き合う“時間”を大切にしたいからです。

「終活」を始めて、感じたコトがあります。それは、きれいに死ぬための努力よりこれからの残された人生をより「幸せ」に生きるための努力の方が大切なことだと言うことです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました☆

 

【終活】今日から始める「断捨離」のすすめ/お雛さま手放し!

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こんにちは。ヒロポンです。

昨今「終活」という言葉をよく耳にしますが、「終活」って、何となく心が重くなりなったり、面倒くさいし、まだ早いし、などと他人ごとみたいと、行動するのをついつい先延ばしにしたりしていませんか?

・・・というかこれ、自分自身のことなんですけど。

今までは、片付けは 見た目が良くて、 <〝今”の自分にここち良い状態>であればいいと思っていたのが「終活」を意識したら 「残されたら困るモノ?」へと意識が変化してきました。

例えば、、「もし、今 自分がいなくなったら家のモノたちってどうなる?」「もし、今 家の中を知人に見られたらどうする⁉」って、考えたら、、居てもたってもいられなくなりませんか?

-と言う訳で今回は「断捨離」についてのメリット・デメリットなどについて記事にしたいと思います。

【目次】

1「終活」って何をすればいいの?

「終活」と聞くと 重いとか、面倒とか、まだ早いとか、そんなイメージがあると思いますが、決してそんなことはありません。

「終活」の中にエンディングノートというのがあります。

残された家族の負担が少しでも軽くなるように、残された財産管理の事や病気になった時の告知・終末医療・介護・葬儀やお墓の事・供養方法・等々についての、希望や願望を書き留めておくことが出来るノートです。

これも大切な「終活」の準備ですが、それを始める前にやった方が良いことがあります。

それが「断捨離」です。

明日のことですら判らないこの世界。せめて「これは残されたら困るだろうな~」と思うモノぐらいは自分の責任において、処分していきませんか?

2 まず、「断捨離」するものは?

「終活」において、避けて通れないのは「断捨離」なのですが、これにおいては気をつけなければいけないことがあります。それは、一度手放したら、二度と戻らないと言うことです。後で後悔しないようにそこはよ~く、考えて行動してくださいね。

まずは見える形の《重くて、大きくて、丈夫なもの》から片づけましょう。

私の場合 最初に目に付いたのは、なが~い間 押し入れの中で出番のないまま、陣取っていらした あの、「お雛さま」!!

いろんな想いの詰まった大切な「お雛さま」だったけど、手放すことにしました!

3 「断捨離」への覚悟と決断とは?

「お雛さま」といえば 初孫の女の子へのご両親からの「贈り物」というのが多いと思います。我が家もそうでした。

当時、夫のご両親はすでに他界していて しかも、私の両親は遠くに住んでいて、めったに会うことが出来なかったのでその”孫への想い”はひときわ強かっただろうと思います。

可愛い孫への想いを胸に 選んでくれた「お雛さま」。

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そんな、"罪悪感”の中 「これは、残すわけにはいかない!」という「強い使命感」のもと? 解体して、手放すことを決意したのです。

まず、「ガラス」「金具」「燃えるゴミ」に分けて、、これがまさに重労働!家中の工具を使って3~4時間ほどかけてやっと・・・解体終了!!

4 心に受けた変化(メリット)について

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解体したゴミ袋は、全部で4個に! 押し入れの中はかなりの空間が広がりました。ちょっとさみしい気持ちもあったかけど、あんなにあった"執着心""罪悪感"も消えてなんか、、、心がスッキリとして これから「何でも出来そうな気持ち」になってきました。

5まとめ

今回の記事は4つにまとめてみました。

  1. 「終活」では何をしていけばいいのか?
  2. 最初に「断捨離」するのは何がいいのか?
  3. 「断捨離」での心構え(覚悟・決断)とは?
  4. 心に受けるメリットについて

「終活」と言うと”フワッ”として何から始めたらいいのかわからないと思う人が多いと思います。「断捨離」については気力・体力が必要になりますので、少しでも若く、元気なうちに始めることをおすすめします!

「空間」を見ると何か別のモノを置きたくなったりしますよね。

空いた場所を埋めたいと思うのは「人間の本質」なのだそうです。

でも、これからはその、「空間」を楽しむことも大切なのかもしれませんね。風通しがいい「空間」に慣れたら運も良くなります!!たぶん・・?きっと・・!

 

これからも、より良い人生のお役になれるような記事を書いていけたら幸いです。

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました☆

 

 

 

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【59歳!挑戦ブログ】迷宮から抜けだす方法とは?


こんにちは。59歳「おそ咲きブロガ-?」のヒロポンです。

『迷宮』とは?

その名のとうり 出口がわからず迷ってしまうこと。

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この記事では ブログを書くにあたって、何を書いたらいいのかわからない。どんな記事なら人につたわるの?「日記」と「記事」の違いってなに?

その一歩が進まない・・そんな『迷宮』の真っただ中にいるあなたに私の体験した抜けだす方法を紹介します

ブログをはじめた頃はなにも考えず見出しもなくただ今までのエピソ-ドとか思ったことを文章にかいていて 人のお役にたてるどころか自己満足だけのいわゆる「日記ブログ」でした。

そんな「日記ブログ」から抜けだす方法が「アドセンス合格」に向けて、目標をもつことでした。

「アドセンス」とは利用者に合わせて最適な広告を表示してくれる広告サ-ビスのことで、クリックされるだけで報酬が発生する 初心者でも、比較的稼ぎやすいサ-ビスらしいです。でも、その「アドセンス合格」がちょっとたいへんで・・

タイトルにはKW(キ-ワ-ド)を2つ以上いれるとか。

きちんと見出しをつけて段落をつくり目次になるようにするとか。

読者のためになるような内容でないといけないとか。

その他もろもろでそれらを知ったらなおさら気おくれして書けなくなってしまいます。

でも、だいじょうぶ!!時間がかかっても必ず書けるようになります。

さあ!はじめてみましょう。

【目次】

 

 1 「日記」と「記事」のちがいとは?

今年は何かあたらしいことをしようと思いつき、まずTwitterを始めてその途中に「はてなブログ」のはじめかたを見つけて簡単でたのしそうだったのでほんの軽いきもちで開設したのです。

これまでのブログといえば 過去のエピソ-ドやそのとき感じたこととかダラダラと分

章を書いていたいわゆる自己満足の「日記ブログ」でした。

それはそれで楽しかったのですが Twitterでよく目にする「アドセンス合格しました~!」がどうも気になり「アドセンス」ってなに?ーというところから「日記」「記事」の違いに気づきわたしの【挑戦ブログ】がはじまったのです。

 

「記事」とは簡単に言ったら だれかのお役に立てる情報をつたえることです。

 

お役に立てる情報ってなかなかむずかしいですよね。インプットはできてもアウトプットへもっていくことがなかなかですから・・参考のために他の人のブログをみるとますます落ち込んでしまいますし・・・

こんなことは、例外なく 誰もが陥ることらしいです。

 

2「迷宮」入りしてしまうわけとは?

「アドセンス」を意識した「記事」は誰に? 何を? なぜ?つたえるのかを明確にしなければなりません。いろいろ頭の中が混乱してしまいます。

いわゆる「フリ-ズ」「頭べんぴ」とも言います。

そんな中でもTwtterで(勝手に)私へのはげましとしかとれないツィ-トをみつけては

「あ~わたしだけじゃないんだな。」「みんながんばってるんだな~」って思えて

まるでたまごの中にいるヒヨコをうながす親鳥のように・・ そんなヒヨコになったみたいな安心感で また、きもちがUP!したりします。

思うに意識を「軽く」とらえないと先にすすめません。

もっと肩のちからをぬいていまの自分だからこそ書けることを見つければいいんだということに 気づいてください。

3 書いてみる事への挑戦

ブログを書くことで かなり意識改革ができます。

 

知らず知らずに いままでより人の言葉に注目したり世の中のできごとに敏感になったり 

年齢は関係ありません。こんなふうにいくつになっても、「新しい事やたのしい事」をみつけることができます。

まいにちが「発見」の連続です。短くてもいいんです!日にちがかかってもいいんです!まずは書いてみましょう。

4 まとめ

 この記事では、誰もががおちいる「迷宮」ブログから抜けだす方法について書いてみました。知らないことばかりの中で 若いブロガ-さん達から、学ぶ事がたくさんあることに思い知らされるばかりです。

とりあえず今は「アドセンス合格」というよりは よりよいブログに仕上げることを目指してがんばっていきましょう。

 

最後までお付き合い頂きありがとうございました☆

 

 

 

 

 

 

 

 

幸せへの始まり/その一歩!!

 


こんにちは。ヒロポンです!

ずっと並んでいる私の人生ファイル・・その中から 今回はこのファイルを開いてみます。こんな私でも 掴む事が出来た「幸せ」への始まの第一歩のエピソ-ドです。

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  目次

 

 

①占い大好き女子高生

高校生の頃は多分にもれずアイドル大好き 占い大好きで当時の人気雑誌セブンティ-ンの占いコ-ナ-は、絶対見逃さない!

担任の先生が大の占い好きでクラスの女子は大抵 手相・人相を観てもらっていて 私も遠足のバスの中で観てもらったの。

「晩婚型だね~40歳位かも・・」って言われてショックで その後の遠足も楽しめない位落ち込んじゃいました。

確かに仲良し4人組の中で彼氏が居ないのは私だけだったけど・・・。

 

②親元離れて東京へ

 高校を卒業して 東京のアパレル会社へ就職。楽しい寮生活と「都会人」?となれた 解放感でまるで 糸の切れた凧状態。

花の土曜日と称して 新宿へディスコ通いもしてました~

ある日、友達とショッピングの途中、池袋の路上で面白半分で 有料の手相占いを観て貰ったら、そこでも 晩婚と言われ、おまけに稀に見る「女難ならず男難の相」と言われショック全開・・・!?その後 友達がその話に触れる事は無かったです。

 

③出合いはどこ?

上京して2年位経った頃 縁あって会社の長期休暇をとって3ヶ月間程奈良のある道場へ修養に行く事になりました。偶然、彼(現在の夫)も修養に来ていて そこで知り合ったのです。

当時、東京に付き合っていた男性が居たのだけれど、私が、勝手に奈良に来てしまった事で、ぎくしゃくして3ヶ月目にはとうとう縁が切れてしまいました。

その頃から なんとなく「彼」の存在が少しずつ気になり始めたんだけど 何しろ歳は14歳も上だし 遠い九州だし かなり、、 ハ-ドルは高かったかな ~と言うのも彼はしょっぱなから「結婚」を前提にお付き合いを申し込んで来たから。

”事”の重大さを考えたらうかつに答える訳にはいきません!何日も考えて考えて・・でも ずっと心の奥底のザワザワする「何か」 動いて・・3ヶ月終了の一週間を残す頃に やっと決心を固め、OKの返事をしました。年末の寒い冬 その時私は19歳でした。

④辛い遠距離恋愛~親の猛反対~ 

結婚の約束はしたものの私は東京 彼は九州と離れ離れ・・今の様に携帯も無い時代で

もっぱら手紙と公衆電話 そして、「必ず迎えに行くから待っててくれな!」

という言葉を支えに遠距離恋愛はスタ-トました。

 

お正月に東北の実家へ帰省した時 やっとの思いで結婚を打ち明けたら 予想どうり猛反対!母親には泣かれるし 父親には怒鳴られるしそりゃあ当たり前だよね~兄達よりはるかに年上で、「九州」となったら親にしてみれば外国に行ってしまう位の感覚だろうし

東京に戻った私に親は いろんな手段で別れさせようとしてきました。

例えば兄を仲介に立てて、実家に引き戻そうとしたり、お盆に帰った時には 父が「諦めてくれ!」-と頭を下げた事もありました。知らない土地で苦労させたくないと言う

両親の気持ちは痛いほど理解は出来たんだけど、どうしても引く事が出来ません。

 

「そんなにしてまでも別れたくないものは何?」自分でも分からない・例の心の奥底のザワザワする「何か」が私の背中を押すのです。

実家には 何度も途中で切られたけど3~4日に一度は電話をかけ続けました。

⑤不思議な夢~その後の変化~

結婚までに一度 九州の彼のもとに 来た事があって、その時の飛行機から見た海の青さがとっても綺麗だったのと、やっと逢えた嬉しさで涙が溢れて止まりませんでした。

 

これからの事を何度も話し合って、長く暗いトンネルでも二人で抜ける約束をして、東京に戻った数日後 不思議な夢を見たのです。

10年以上前に癌で亡くなった彼の、お母さんが現れて 私に向かって深々と頭を下げて「息子をくれぐれもよろしくお願いしますよ!」って言ったのです。あまりにもリアルな夢で、いつまでも頭から離れませんでした。

その数日後 突然父から「ちゃんと話したいから 近いうちに帰って来なさい」との電話が!!「何事?」と思う位の急展開!その翌月の10月10日 両親は結婚を許してくれました。

⑥郷里へ彼と共に

気持ちが変わらぬ内に!!と九州から彼を呼んで、初めて実家へ連れて行きました。

 

緊張しまくっていた彼を 両親を始め家族は 何事も無かった様に暖かく迎え入れてくれて、とても 穏やかな「時」を過ごす事が出来ました。

「やっと、許してもらえたんだ~」と言う安心感で心がいっぱいでした・・・

 秋も終りかけの 燃えるような紅葉がとても美しい11月の頃でした。

⑦やっと辿り着いた結婚式

それからは 1月に結納 、3月の結婚式とトントン拍子に話が進んでいきました。

 

その間彼は一人で 式場の予約や招待客の人数等、右に左にと、走り回ってくれたので私は、衣装の打ち合わせをするだけでした。

約20人位の少人数の結婚式で とってもアットホ-ムの素敵な式でした。

 

⑧終わりに

やはり 時として「占い」は当たらない事もあると思います。

しかし、人生には 計り知れない「何か」が動いているのは確かな気がします。

大切なのは「今、この時」を大切に生きることを意識し、限りなくプラス思考に持っていき「心を軽くする」努力をしてゆくこと。その小さな積み重ねが、素敵な運命を運んでくれると思います。

そして きっと誰もが感じる事の出来る「心の奥底のザワザワする何か」を信じて、行動してみるのもいいですよ!

 

結婚して40年、、いろんな事があったけど、ふり返ってみたら楽しいことがたくさん!!今はいない両親にひとこと・・・産んでくれてありがとう!手離してくれてありがとう!

 

最後までおつきあい頂きましてありがとうございました☆

お花屋さん/楽しいエピソ-ド!?

 

こんにちは。ヒロポンです。子供の頃、鏡に鏡を写すとずっと自分の顔が続いて、どこまで長いんだろうって不思議に思った事があります。その、ずっと続く「顔」を真上から覗くとまるでフォルダ-が並んでいるみたいですよね。

その、私の人生フォルダ-のひとつを抜き取り、開いてみたいと思います。

今回は-お花屋さんでアルバイト!です。

 

【目次】

1結婚最初の仕事はお花屋さん

結婚生活にもちょっとなれ、暇を持て余してた頃、近くの「花屋さん」の入り口に求人募集の張り紙をみつけ、花が好きだし 楽そうだと思い働く事にしました。

 

「 花屋さん」って見た目よりかなりハ-ドなんです。

水の入った重いバケツを 並べたり、バラのトゲを 一本一本はずしたり、お陰で手は 傷だらけ・・どうにか 無事 初日は終わり ぐったり、、帰宅。

 

2見知らぬ町で花車を引いたよ

二日目の任務は、リヤカ-を改造したかわいい?花車」を引いて繁華街まで持って行く事。店主さんから 簡単な地図を渡され「裏道を行けば大丈夫だから!」って、、

当時の私は、土地勘も無かったせいもあって 簡単に考えて二つ返事で引き受けてしまいました。

 

3偶然夫がみつけてくれた

午後三時過ぎ さあ!出発~ってこれがとんでもない・・花車ってリヤカ-だから けっこう幅があるし、細い裏道を通るだけでもたいへんで、対向車が来たら 避けるのがたいへん!!ところが、途中で道に迷ってしまい、通りすがりの人に道を尋ねようとしても 避けられるし、(きっと面倒な事に巻き込まれたく無かったのかも・・)

 

そんな時!私の方へ血相を変えて走って来る人がいます。なんと!! ” だったのです。たまたま 当時 働いていた「うなぎ屋さん」の休憩中で、二階の窓から外を見ていたら、見た事ある様な娘が、「派手なリヤカ-」の前でオロオロしてるのが見えたって、、、

 

そのまま目的地まで夫が花車を引いて連れて行ってくれて、無事、到着 !(^^)!

今 思えばあれは奇跡です!

もし あの時 見つけてもらえなかったら どうなっていた事か、、、あの時の夫に ありがとう♡

4初めて作った花束

後は 店主さんが来るのを待って私は 帰るだけ-のはずが、なかなか来ない。(お客様が来たらどうしよう~)って、ところが!不安は的中してしまいました。

ちょっと酔い気味の初老のおじさんが来て「花束ひとつ作ってよ~」って まさか 私が昨日入ったアルバイトだなんて、思ってないだろうし。

ここは一か八か作るしかないと思って 素知らぬ顔でニコニコしながら引き受けたのです。きっと「どこかのお店の女の子に持っていくんだろうな。」と思いながら、見よう見まねで 何とかそれらしい花束が出来上がって そこでおじさん「さすが プロはちがうね~」って褒めてくれて・・ちょっと嬉しかったです♡

 

5おわりに

人間、開き直って 笑顔で対応したら、たいてい 何とかなる事のほうが 多いのかも知れないですね。

その後 花車は商店街とかに何度か持って行ったけど、売上不調で、止めることになり ついでに人手もいらなくなり、花屋をクビになってしまいました。

 

ほんの二ヶ月足らずのアルバイトだったけど、妙にワクワクして 自分の意外性を発見できた楽しい仕事でした。

 

しかし 今、思えば花屋の店主さんもかなりの、無茶ぶりだったと思います。

土地勘のない二十歳そこそこの娘に、リヤカ-引かせるなんて・・・ね!

 

今回はここで、おしまい!!

最後までお付き合いいただきありがとうございました☆

 

 

「食」で変わる「運命」とは?

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初めまして。ヒロポンです。

人の運は食にありとは江戸時代の観相学者の「水野南北」の言葉です。当時「南北」は「麦」と「大豆」だけの食事を1年間続けた結果、それまでの「稀に見る悪相と、残り1年の寿命と言う剣難の相」から見事逆転し、「摂食開運説」を唱え、78歳の生涯を終えるまで、「日本一の観相家」と言われた人物です。簡単に言ったら、食べる物によって、「元気になり、人相も変わり、長生き」までできたと言う人物の事です。

「人の運は食にあり」これは、本当です。

実は、4年ほど前に、夫が風邪をこじらせて病院へ行きました。

「糖尿病予備軍」と診断されて それまでは「健康体」と思い込んでいただけに、かなりのショックを受けました。それから、ふたりで 「根本的な食事改善」の取り組みをを始めたのです。

管理栄養士さんのアドバイスをうけて、数か月で「正常値」に戻る事ができました。主に「食事管理」のほうは、私がやっていましたので、今では私までもが、かなりの「健康体」になることができました。

どんな食事制限をしたかと言うと簡単にいえば糖質制限だけなんです。

それまでは二人とも「自分へのご褒美~!」「これぐらいはいいよね♡」とか言って、しょっ中甘いものを食べていました。

いくら、がんばって「油はオリ-ブオイル」とか、「食べる順番は野菜から」とか「ジョギング」をやっていても、肝心な「糖」を摂り過ぎていたらNG!です。

そうなんです!「糖」=「甘いもの」を制限するだけでかなりの効果は期待できます。

特に炭水化物を使う甘い「ケーキ」「ドーナツ」大好きな「チョコビスケット」「たいやき」も止めました。

たった・・・これだけを、止めただけでも疲れにくくなったり、だいいちに、太りにくくなりました。あと、できれば「ドリンク剤」も減らした方がいいですね。なぜなら、飲み続けていると、依存性がでてきて、逆に疲れがのこってしまうからです。≪わたしがそうでした、、≫

 

正しい食事をすれば健康になり、健康になれば頭もプラス思考になり、プラス思考の積み重ねが「運命」を、良い方向へと導いてくれます。

 

あのままの食事を続けていたら 夫はもちろんの事 私までも完全な

糖尿病になっていたかも・・・あの時 風邪をこじらせた夫に「感謝?」です。

 

さて、ちょっと遅くなりましたが ここで簡単な自己紹介をしたいと思います。

年齢は、来年還暦になります。今は、72歳になる夫と2人暮らし。

16年間夫と共に和食店を営み 現在は、ファミリーレストランのウェイトレス歴20年目になります。

なぜ、いまここで ブログを始めてみようと思ったのか?と言うと、「これまでの自分の概念を少しでも変えていきたい!」「今の私だからこそ! 出来る足跡」を 一歩一歩残していきたい!と思ったからです。

これまで体験した奇跡や 不思議な事 おもしろかった事。

そして、だれかのお役に立てる様な事も書いていければいいな、と思ってます。 

どうぞ よろしくお願いします。

 

最後までお付き合いいただきありがとうございました☆